旧暦(きゅうれき)とは改暦があった場合のそれ以前に使われていた暦法のことである。改暦後の暦法は新暦。多くの国ではグレゴリオ暦が現行暦のため、グレゴリオ暦の前の暦法を指す。Wikipedia

近頃では調べ物をするのもインターネットでと言う学校が多くなりましたね。

我々のころは各家庭の書棚に小学館の『ジャポニカ百科事典』が23巻くらい並んでいまして、我が家でも父親が無理をして買っていたように思います。

ほとんど見ることのない百科事典…。

あと一種類は学研の『標準学習百科大事典』で10巻あるうちの『6巻』が大人気で『動物・植物』と言う、カラフルな動植物のイラストで構成されている唯一人気の百科事典だったのを思い出します。

『カモノハシ』もそれで知りましたし。

ウィキペディアをすべて信用していいのかわかりませんが、調べ物をするにはかなり速いですね。

こちらで旧暦を調べてみますと、

『日本の旧暦は天保暦である。天保暦は明治5年12月2日1872年12月31日)まで使われていた。

なお明治改暦以降、正式な暦ではなくなったため国立天文台では改暦以前の新暦旧暦の対照には回答するものの改暦後の対照には応じない立場である[5]。一方、同じ国の機関であっても海上保安庁海洋情報部では非公式ながら2010年までの新暦旧暦の対照表を公表している(2010年以降の公表予定はない)

ただし国立天文台は、毎年2月のはじめの「官報」に「暦要項」を告示、翌年の「二十四節気および雑節」、「朔弦望」(=ついたち、=15日など)などを提示している(すなわち、「30日の大月、29日の小月」の計算と提示は「公的」に行われている)。2015年(平成27年)の場合、2月2日 (月) に発行された第6463号の25ページ〜26ページに「平成28年 (2016) 暦要項」が「告示」(掲載)されている。』

とまぁ途中を端折ってますがこのように記述されているわけであります。

『なぜ旧暦に変わったのか?』として検索するとこんなのも出てきます。

日本におけるグレゴリオ暦導入

『日本では、明治5年(1872年)に、従来の太陰太陽暦を廃して翌年から太陽暦を採用することが布告された。この「太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ頒行ス」(明治5年太政官布告第337号、改暦ノ布告)では、「來ル十二月三日ヲ以テ明治六年一月一日ト被定候事」として、グレゴリオ暦1873年1月1日に当たる明治5年12月3日を明治6年1月1日とすることなどを定めた。そのため明治5年12月2日まで使用されていた天保暦は旧暦となった(明治改暦、明治の改暦)。

この布告は年も押し詰まった同年11月9日(1872年12月9日)に公布されたため、社会的な混乱を来した。暦の販売権をもつ弘暦者(明治5年には頒暦商社が結成された)は、例年10月1日に翌年の暦の販売を始めることとしており、この年もすでに翌年の暦が発売されていた。急な改暦により従来の暦は返本され、また急遽新しい暦を作ることになり、弘暦者は甚大な損害を蒙ることになった。一方、福澤諭吉は、太陽暦改暦の決定を聞くと直ちに『改暦弁』を著して改暦の正当性を論じた。太陽暦施行と同時の1873年(明治6年)1月1日付けで慶應義塾蔵版で刊行されたこの書は大いに売れて、内務官僚の松田道之に宛てた福澤の書簡(1879年(明治12年)3月4日付)には、この出来事を回想して「忽ち10万部が売れた」と記している。

これほど急な新暦導入は、当時参議であった大隈重信の回顧録『大隈伯昔日譚』によれば、政府の財政状況が逼迫していたことによる。すなわち、旧暦のままでは明治6年は閏月があるため13か月となる。すると、月給制に移行したばかりの官吏への報酬を1年間に13回支給しなければならない。これに対して、新暦を導入してしまえば閏月はなくなり12か月分の支給ですむ。また、明治5年も12月が2日しかないので、11か月分しか給料を支給せずに済ますことができる。さらに、当時は1、6のつく日を休業とする習わしがあり、これに節句などの休業を加えると年間の約4割は休業日となる計算である。新暦導入を機に週休制にあらためることで、休業日を年間50日余に減らすことができる。

「世界基準」に合わせるという“タテマエ”の裏には、コスト削減という明治政府の“ホンネ”がしっかり見える。改暦は実に政治的な判断で拙速に行われたと言ってよいだろう。 改暦前日まで使われてきた「天保暦」は、過去から長い期間にわたって使われてきた暦の改訂版であったが、中国ほかアジアの国における「農暦」と同様に、「太陰太陽暦」という、太陽と月の動きを元に、自然現象と密着した生活を送るためには、非常に良くできた暦であった。
そして、中国も韓国もその他多くのアジアの地域も、あくまで一つの指標としての「グレゴリオ暦」は採用していても、季節を踏まえた祭事などの行事や農作業の準備は、旧暦を元に行っている。また、イスラム文化圏では、生活や宗教上のしきたりの基盤は太陰暦である。

ところが、日本はどうか・・・・・・。何かことが起こると集団でまっしぐらになる、良く言えば適応力の強い日本人、悪く言えば節操のない日本人は、見事にたった140年前に採用されたばかりの「グレゴリオ暦」に、ほとんど染まってしまった。

『なぜ日本では旧正月を祝わないのか?』で検索すると

『アジア圏では旧正月を祝うのに「なぜ日本は祝わないのか?」と中国メディアに取り上げられましたが、元々日本も明治維新の前までは旧暦を使い、旧正月を祝っていました。1872年11月9日に布告され、後一ヶ月未満にもかかわらず、1872年12月3日に西洋暦である新暦に変わりました。

しかしはっきりした理由は判明しておらず、旧暦のままだと明治6年は閏年であるため、年13回も給与するのは財政的に厳しかったからといわれているそうです。バレンタインデーやハロウィンのように海外のイベントを取り入れ、日本独自のものに変えて慣習として楽しめる日本人にしては、イベントもしくは休日が増えることは歓迎されそうですが、なぜ旧正月を祝おうとしないのでしょうね。お月見などの旧暦由来の季節的なイベントは行われているのですが、謎です。』

とまぁ順応性の高い日本人は新しい正確な新暦に移行できたのですが、神々の世界ではやはり旧暦のような…

と言う事は本日は十月五日で神無月真っただ中と言うことになります。

出雲大社もこの時期に行くべきでしょうか…

俗にいう九星気学で言うところの自分の誕生日も変わってしまうということで調べてみましたら

10月17日と言うことでした。と言うことは運勢は変わるのかな?

昔からの旧暦での時代と今の新暦の時代との錯誤で混乱するわたくしです。

旧暦の誕生日で九星気学の占いをした方がいいのかもしれませんね。

大安や友引、仏滅などは旧暦での話ですし。

ただそんなに信心深くはないわたくしです。

でも家族に骨折したものが…。すぐお払いに行きなさい。と言ってしまう…。

神無月だからとかつい思ってしまうわたくしですが、

そんな中、姪っ子の結婚が決まりました!おめでたい!

実にめでたい!

嬉しい報告でした。