本日、東北の大震災が起こって9年を迎えます。
忘れもしない穏やかな気温と青天の金曜日でした。
ニュースに釘付けになり、港に海を見に来ていた白いエスティマの方たちが映る定点カメラの画像を見ながら、
『早く逃げて!』と言葉になって口から出たのも鮮明に覚えています。
その後夕方の例会に行き、翌日の九州新幹線イベントも中止になり、
自粛ムードの中、下降する経済の動向も予測でき、
自宅に帰って物凄い津波の惨劇の映画以上の画像に恐怖を覚え、今もトラウマになっているように思います。
YouTubeなどにアップされている津波の動画もつい観てしまうからかもしれませんが…。
生々しい記憶がいつもフラッシュバックのように思い出されます。
数万人の方がお亡くなりになられ、東北の方々の生活もとても苦しいものになったのではないでしょうか。
その年の秋からとあるロータリークラブに少なからず支援をし、
復興の手助けになればと毎年行ってきました。
翌々年には訪問し交流を深めました。
二次会で聞いたお話では
家族で福岡の知人宅までひた走り安全を確保された方や
足の悪いお母さんがいらした方は、街に残り工夫をして必死に生き抜いた方などの実体験を聞かせていただきました。
その体験談が後の熊本地震の時に役立つとはその時は思いもしませんでした。
色んなテレビで復興の模様を観てはいますが、まだまだ半ばかなと色んな側面から見えてしまいます。
熊本もそうですが、地震でのあの夜は恐怖もあり、家族を守ることで精いっぱいで頭の中は真っ白だったように思います。
両親を大阪に逃がし、家族を福岡に逃がし必死に生きてきましたが、
直面にある『コロナ』の問題はどこに逃げることも出来ない人類を試されているような
そんな気さえしてしまいます。
東北のまだまだ先の見えぬ復興とお亡くなりになられた方々に対して
心ばかりの気持ちを捧げたいと思います。
黙祷