本日は娘婿の誕生日です。貴史さんおめでとうございます!

福岡にいる妹の誕生日でもあります。葉子さんおめでとうございます!

お母さん産んでくれてありがとうの日でもあります。

昨日、小島に納品に行ったついでに、祖父母の先祖のお墓にちょっとお寄りいたしました。

盆正月お彼岸以外でも寄っていいでしょう?手を合わせてきました。

地震で御堂が解体されていたのでどうなったか、見に行ったところまだ更地のままで現場事務所は設置してありました。

隣の墓石が倒れて壊れていた先祖のお墓も、親戚の従兄が修理していてくれて綺麗になっています。感謝です。

墓石の横のお墓の中に入っている先祖の名前を刻んである石を見ましたところ。

本日、五月二日が祖父の命日でした。

改めて深くお参りをしました。

祖母トメさんが亡くなったのが昭和38年5月29日。姉が産れたのが昭和38年2月6日。しばらくは顔を眺めて旅立たれたのですね。

祖父弥平さんが亡くなったのが昭和40年5月2日。わたくしが産れたのが昭和39年11月20日。30番目の孫を半年見守って旅立たれたわけです。

わたくしはまだ孫が二人しかいませんので、もっと頑張らないといけませんね。

その後、帰り道に母方のお墓もあったので、平等にと言う事で寄ってお参りしてきました。

祖父又喜さんは昭和62年10月10日です。二十年くらい隣に住ませてもらっていましたが、とても優しいじいちゃんでした。末っ子なので『また産まれて喜んだ』と言う事で『又喜』さん。

祖母キミさんは昭和63年8月3日で穏やかで優しい祖母でした。家業の八百屋もたまに店番のお手伝いもしました。小学生の頃にお袋のカツラを被って、化粧してお客さんのふりしてお店に行きドッキリもさせ事もありました…。ばあちゃが大笑いしたのを初めて見た瞬間でした…。あの時に寿命が少し縮んだかな…。

孫には優しくしよう…。

他人の先祖の話なんて興味はないですよね。でも、わたしの孫からすれば父母は一人ずつで二人、そして、私たち祖父母は四人。曾祖父母(そうそふぼ)は八人。と言うことでわたくしの祖父母にあたる先祖は高祖父母(こうそふぼ)と言う呼び方になりまして、十六人になるわけです。その一代上の大正五年にお亡くなりになられた弥平さんのとても厳しかった父、江戸時代の嘉永三年生まれの永太郎さんの立場の先祖は三十二人いるわけです。その上は六十四人。途中ダブっている方もいらっしゃるかもしれませんが、隣にいる近くの知人も遠い親戚かもしれませんね。

と昔、挫折した『家系図』を作ってみたいと思います。小島のお寺は『過去帳』も流されてないらしいので『永太郎』さんからの『家系図』をエクセルで作ってみたいと思います。データーで残しましょう!

 

確認したら昨年の五月一日も墓を見に行ってました。↓昨年の写真です。今は綺麗に直っていますが墓場は写真が撮りにくくて…。

枯れてた花が残っていたので捨てて来ました。今度は綺麗な花と線香を持って行きましょう。

『蛭子屋先祖代々之墓』も気になるところです。

御先祖様に感謝して五月も張り切っていきましょう!